『虚構推理』<鋼人七瀬編>

 マガジンRで連載中の『虚構推理』が第6巻をもって一区切りを迎えました。原作小説一冊分の内容を2年かけて描き切り、今後は続編の連載が決定しています。また、原作者である城平京による続編小説の発表も決定しています。

 マガジンRに注目したのは『虚構推理』の漫画連載がきっかけでした。良い機会ですので、主に原作小説についてまとめておきます。

虚構推理(6) (月刊少年マガジンコミックス)

虚構推理(6) (月刊少年マガジンコミックス)

 

 『虚構推理』という物語のオリジナリティは「真相のいかんにかかわらず、もっとも説得力のある推理をしたものが勝ち」という着眼点にあります。つまり、たとえ事実と異なる推理をしたとしても、その推理が万人を納得させるものであるならそれでよいのです。探偵役の少女・岩永琴子はこのルールを援用し、事実を嘘に変えてしまおうと目論むのです。

 ミステリなのにそれでいいのか、というご指摘はもっともかもしれません。ふつうのミステリ小説は、探偵が正しい推理を行い、正しく真相を指摘するというのが基本プロットになっています。しかし、ここで立ち止まって考えてみると、探偵が明らかにした「正しい真相」が本当に正しいものなのか、誰にも判定できないことに気づくでしょう。なぜなら、探偵が推理の拠り所とした証拠の数々が偽の証拠であったり、探偵がまだ考慮に入れていない新しい証拠が後になって発見される可能性もあるからです。このように、ミステリ小説においては探偵を含めた作中の登場人物にも、そしてもちろん読者にも作者にも、「本当の真相が別に存在しうる可能性」を完全に否定することは不可能なのです。

 ミステリ小説が抱えるこの弱点のアンチテーゼ*1として『虚構推理』は存在します。この作品では初めから真相の追及を放棄しています。その代わり、ひとつの事件について複数の解釈が可能であるという論理遊戯を提供しているのです。これはミステリ用語でいうところの「多重解決」あるいは昨今流行りの「推理バトル」にカテゴライズされますが、『虚構推理』の優れている点はその結果「真実と虚構が逆転する」ことでしょう。本当であったものが嘘になり、嘘であったものが本当になるという大逆転。このような物語構造は作中に登場する女の亡霊・鋼人七瀬の存在に象徴されています。

 『虚構推理』の世界設定は一見するとミステリにあるまじき「亡霊が実在する世界」であり、鋼人七瀬もそのような怪異の一種です。作品世界において「鋼人七瀬は実在する」が真実なのです。探偵・岩永琴子はこの狂暴極まる亡霊を打ち消すために、すなわち「鋼人七瀬は実在しない」という虚構を真実に変えるために推理を組み立てます。

 なぜ推理によって亡霊を倒せるのか、という部分は本作における怪異の基本設定と密接に関連しており、かつ、それが多重解決である必然性にもつながってきているので、これは直接本作を読んで確認していただきたい。一言でいえば、『虚構推理』というタイトルに作中のすべての要素が集約されているのです。『虚構推理』は登場人物や世界観といったすべての設定が多重解決の必然性を保証するように構築されており、後半に探偵が提示する4つの解決の内容それ以上に秀逸であると感じられます。そのような驚くほど緻密な構成でいながら文体は軽妙で、どこにも原作者の血の滲んだような痕跡が感じられない点こそ奇跡的かもしれません。

 本作がこれほど完璧であるからこそ、続編はいったいどのような作品になるのかまったく想像がつきません。第一作の発表から6年という長期を経ての第二作であることや、漫画版の人気のおかげで多くの読者が注目している現状では期待値もハードルもこれ以上ないほど高くなっています。すでに読者は作者の手の内を知ってしまっているため、第一作と同じことをやっても意味がありません。次回作は趣向を変えてくることを仄めかしているあたり(第6巻あとがき)、第一作を上回る驚きにも期待ができるかもしれません。

 最後に言及することなってしまいましたが、漫画版は最高です。画力は申し分なく、キャラクターもそれぞれ個性的で魅力的、さらにはミステリの要点を押さえた構図など、ミステリ小説の漫画化としてほぼ理想的な完成度を持っているのではないでしょうか。読後の満足感は正直に言って、原作小説が100とするなら漫画版は120くらいです。とはいえ、ミステリとしてはやはり原作小説に軍配を上げたい。純然たるミステリの面白さを楽しめるのは小説版以外にはありえないでしょう。

*1:アンチテーゼってなんでしょう?あれ?よく意味がわかりません。ただ、この文章を書いた時はまさしく虚構推理がミステリのアンチテーゼだと思っていたので、そのままにしておきます。「よくわからぬむつかしげなことばを使ってあると高級だと思う愚か者はどこにもいるものだ。」高島俊男お言葉ですが…』(文春文庫)より。

3月23日は世界気象デー

世界気象デー2017

空にぽっかり浮かんでいるわた雲を見れば歓喜し、滑らかに漂うすじ雲を見れば恍惚とします。それらに積雲、巻雲という名前をつけてくれたのは世界気象機関(WMO)でした。そのWMOが記念日を定めているとあれば、私たちは無視するわけにはいきません。雲が大好きなみなさま方ならもしかすると知っている「世界気象デー」(毎年3月23日)のことです。

とはいえ、乱立する世界なんとかデーのご多分に漏れず、世界気象デーのありがたみもちょっと頼りないところがあります。しかし、2017年今年のテーマはズバリ「雲を理解する*1」。なんと、雲の分類が30年ぶりに改訂されるというのです。雲好きは見過ごせないビッグイベントになることでしょう。

雲の分類改訂に注目

この度の改訂における最大の注目ポイントは「Asperitas」という新しい雲の種類が追加されることです。「Asperitas」とはラテン語で「粗い」を意味しています。「波状雲」という似た雲がありますが、さらに暗く複雑な形をしており不気味さではピカイチですね。

なんとこの雲、近年発見された新種です。しかも、最初の報告は気象学者ではなく一般市民が職場で撮影した写真だったというから驚き。それが2006年のことで、そこからたった10年程度で公式に認定されるとはちょっとしたシンデレラストーリーのようにも聞こえます。この決定に大きく寄与しているのは「雲を愛でる会」の設立者であるプレイター=ピニー氏であり、この雲を新種として認定するよう積極的に働きかけていました*2

他にも改訂される部分は多くあり、アーチ雲の一種である「Volutus」が追加されるだけでなく、「ケルビン-ヘルムホルツ波雲」や「落下すじの雲」に正式なラテン語名が与えられることなど、盛りだくさん。これまで出版された雲の本がちょっぴり古くなってしまうことになりますね。これをきっかけに本の出版が盛んになって、巷で雲ブームなんて起きないでしょうか。

ついでにご紹介しておきますが、先に述べたプレイター=ピニー氏が世界気象デーのイベントでゲストトークを行います。世界時3月23日13時30分(日本時間22時30分)からFacebookやWMOサイトで視聴可能です。今回追加された新種「Asperitas」の採用までのあれやらこれやらについては詳しく聞けるだろうと思います。

オンライン万歳

雲の新しい分類というだけではなく、今回の改訂の何がありがたいかというと、改訂版が「オンラインで公開」されることにあるでしょう。つまり、紙媒体ではなく、電子媒体ということです。今時あたりまえすぎる話ではりますが、以前のバージョンが公開されたのはインターネット時代以前であり、現在出回っているのはそのスキャン画像です。画像は粗いし、検索しづらいということで、これらが完全電子化されたら快適な雲ライフを堪能できることは間違いありません。しかも、掲載される画像は世界中で撮影されたものからの選りすぐりであるため、鮮明美麗かつ雲の特徴を的確に捉えたすばらしいものとなるでしょう。公開されているいくつかの写真*3を見ただけで期待感が高まります。

リンク

改訂版の公開前なので情報は散乱しています。分類の改訂に関しては、基本的にWMOの公式サイトと、私設サイトではありますが世界的に信頼の厚い「雲を愛でる会」を情報源としています。

WMO International Cloud Atlas

こちらが改訂版でございます。予想以上に豊富なコンテンツでちょっと冷静でなんていられません。単なるデータベースとしてだけでなく、楽しく雲について学べるようになっています。これは使ったもん勝ちでしょう。

www.wmocloudatlas.org

クラウドスポッター入門

クラウドスポッターができるまで

f:id:monokuroobake:20161207222928j:plain星空を眺めるのが好きで、一等星などの主要な星や、それらが属する季節の星座はあらかた網羅しています。星の季節変化や惑星の運行に慣れてくると、今日これくらいの時間帯の夜空はこんな感じだな、と頭の中に天球を再現することができたりします。これはとても楽しい。

ところが、実際の星空観望においては雲が多分に悪さをします。雨は降っていないけど空一面を雲が覆っている。晴れていると思ったが見ようとしていた方角の空に雲が群れを成している。夜空を楽しもうとしたとき、雲は大敵なのです。

恨めしい雲の存在を意識しはじめると、ぽっかり浮かんでいる昼間の雲ひとつが妙に気になるようになりました。初めの関心は、今夜の天気をあの雲で予測できないか、ということでした。あのような形の雲ができるのはどのような気象条件だからなのか。あの雲はどこから来てどこへ行くのか。あの雲はどうしてあんなにかわいいのか。

雲のことばかり考えて生活していた日々が続き、ふと気づくと、雲がかわいくてかわいくてたまらなくなっていました。雲のかわいさとはなにか。雲は多彩です。ぽっかり、ふわふわ、まるまる、どんより、のっぺり、色々な顔を見せてくれます。そしてなにより、時間がたてばすぐに姿を変える、この刹那的存在のはかなさ。そういえば幼いころは、窓辺に寝転がって空を横切るわた雲をずっと眺めていたりしたものでした。意味があるのかないのかなんて考えない、そんな時間を久しく過ごしていないな、と。

新米クラウドスポッターの目標

以上のような経緯でクラウドスポッター入門を果たしたものの、まだまだ知識や経験が足りません。どんな雲であっても基本的な10種類のいずれかに分類されると言いますが、いま目にしているあの雲がそのうちのどれに属するのか、その場で判断がつきません。面白い雲を見つけても、それがどういう雲で、なぜそのような形をしているのか説明できないままではクラウドスポッターとは呼べないし、雲の面白さを十分に堪能することもできないでしょう。

そこで本ブログの方針として、雲の写真コレクションを作成するという目標を立てます。雲を見つけて撮影し、それを分類する。当面の目標は基本10種類の制覇です。つまり10枚の写真を撮ればよいのですからなんだか難易度が低そうにも感じますが、相手は俊敏でワイルドですから、相当な苦戦を強いられることでしょう。それに対してこちらの武器はコンパクトデジカメ一台(格安)ですので、ブログ投稿を前提とした写真撮影にはそれなりのハードルが伴います。気長に挑戦することをここに宣言いたします。

雲好きのバイブル

雲や気象に関する本は思いのほか豊富です。入門したての新米がこのように紹介するのはおこがましいのですが、これこそ雲好きにとってのバイブルに違いないと思われる一冊『「雲」の楽しみ方』をご紹介します。 

「雲」の楽しみ方

「雲」の楽しみ方

 

雲好きが高じてウェブ上にコミュニティを立ち上げてしまった著者が雲への偏愛を垂れ流し続けた結果生まれたこの一冊はまさしく雲好きのための本。雲にはどのような種類があるのか、どのように分類されるのか、なぜそのような雲が生じるのか、素人にもわかりやすく、そして愛をこめて説明しています。本のジャンルとしてはサイエンス・ノンフィクション(科学読み物)ですが、多分に主観が入り混じった「雲ラブ」目線なので、学術的な解説に重点があるわけではありません(念のために注意しておくと、著者はただの雲好き男であり、決して気象学者や天気予報士などではありません)。著者自身を含む数々の実体験や、文学作品から雲の描写を引用するなど、多様な観点から雲の魅力についてとことん語りつくしています。ああ、ここにも物好きな人がいたか、というのが素直な感想です。

このブログでは雲好きの人をクラウドスポッターと呼びならしますが、これは本書の原題「Cloudspotter's guide」から来ています。雲を愛し、ただ眺めるだけでなく積極的に雲を探そうとする人たちだからこそクラウドスポッターと呼ばれるのです。この本を片手にクラウドスポッター街道を突き進んでいきましょう。

ところで、本書は単行本なので値段がちょっとお高めなのが痛いところでしたが、来月(2017年1月)に河出書房から文庫版が発売されます。現状hontoでは書誌情報を参照できますが、河出書房やAmazonではヒットしません。ご興味のある方は是非。

「雲」の楽しみ方 (河出文庫)/ギャヴィン・プレイター=ピニー/桃井緑美子 河出文庫 - 紙の本:honto本の通販ストア