『夢喰い探偵』第1巻

『夢喰い探偵』のレビューをはじめるにあたって

『夢喰い探偵』という漫画をご存知の方は少ないでしょう。マイナー漫画雑誌での連載であること、新人漫画家さんの作品であること、なにより連載開始1年であることなど、知名度が低いことは否定できません。しかし、「本格ミステリー」という観点から見て、非常によくできた作品であることは間違いありません。私は漫画に詳しいわけではありませんので、漫画に通じた方々の基準で本作を批評することはできませんが、ひとりのミステリーファンとしては高く評価します。『夢喰い探偵』をどう面白いと思ったのか、私個人の感想だけではなく、みなさんの意見も教えていただけると幸いです。 

なお、第1話は公式サイトですべて閲覧できます。

夢喰い探偵-宇都宮アイリの帰還-|少年マガジンR|講談社コミックプラス 

 

第1巻について

第1巻は2015年12月に発売されました(電子版は2016年1月)。第1話から第3話までの3話収録となっており、事件が一話完結で描かれています。巻末に作者のあとがきが1ページついていますが、それ以外には連載時点と異なるものはありません。あとがき自体は非常に簡潔なものでしたが、作者が「本格ミステリー」を志向していることは察することができます。これについては、作者や公式のTwitter投稿なども含めて、最後に言及します。 

探偵・宇都宮アイリと助手・国谷一力

登場人物の紹介はいずれ詳しくしなければいけないでしょうが、ここでは簡潔にまとめておくだけにします。舞台は高校であり、主要人物も男女の高校生です。ひとりは本作の探偵役であり、ヒロインでもある宇都宮アイリ(うつのみやあいり)。幼少時より病弱であるがひとたび事件となると興味津々ですぐに首を突っ込もうとする。もうひとりは同じくミステリマニアであり、アイリからワトソン役(つまり助手)を押し付けられてしまった国谷一力(くにやいちりき)。ふたりの出会いはアイリが入院していた病院であるのだが、いま振り返って読み返すと幼少時のふたりが非常にかわいい。物語は、国谷が在籍する高校にアイリが編入学してきた高校2年の春から始まる。 

第1話「アイリの帰還」

彼らが出会う第1の事件は「浮雲破壊事件」。放課後の学校校舎にて、校長先生が管理している浮雲と名づけられた盆栽が壊れてしまう。状況的にはソフトボール部の部員が打ち損じたボールが直撃した不幸な事故としか考えられないのだが、我らが名探偵・アイリはこれが明確な意図をもつ何者かによる犯行であると推理する。

第1話の性質上、登場人物や舞台設定の説明も行う上で事件も描くとなると、必然的にページ数が足りず、簡潔な事件とならざるを得ない。本作では校長先生の盆栽を壊してしまうという、国谷が言うように「ベタベタなアレ」を持ち出すことで、事件の説明を最小限にすることに成功している。

さて、このようにページ数の制約があるなかで描かれた事件であるが、なかなかこだわりが見える。解決編において犯人として名指しされた人物がしぶとく犯行を否認し粘るのだ。そこで探偵は証拠を持ち出す必要が出てくるのだが、これは事前に読者に提示されていた情報であり、読者にも犯人の指摘が可能である。そのため、読み進める上で注目すべきポイントは「どのように盆栽を破壊したか」や「犯人はだれか」だけではなく、「その人物を犯人として指摘する証拠は何か」ということになる。このあたりのヒントの出し方が非常にスムーズで、しかもその解答へ読者を導く探偵の言動も明快でよかった。

ところが、犯人は探偵のこの指摘すらも決定的ではないとして犯行を否認するのである。ここまで粘る犯人は逆に応援したくなる。そしてもちろん、さらなる証拠が犯人の眼前につきつけられることになり、ここでようやく犯行を認めるのであった。

実を言うと、決定的な証拠がこの時点で発見されたという偶然に作り手の作為を感じてしまったのだが、考えてみるとこれは必ずしも的を射た指摘ではない。確かに、その決定的な証拠が「実際に見つかるか否か」を読者が推理することは難しいが、「それが存在すること」は犯行動機から明白であり、決してアンフェアな解決だとは言い切れないでしょう。他のエピソードでも、さすがにそこまで推理することはできないぞ、と言いたくなる事件がありますが、そこでも一考してみると、いやいや、ヒントは確かに提示されていたな、論理的には十分考えられる、と考えを新たにすることがしばしばあるように思われます(具体的に言うと第5話なのだが、それは別稿にて)。このように、シンプルな事件であるように見えて、実は非常に緻密に構築されているのではないでしょうか。 

第2話「伝説の51期」

第2の事件は「御神木の呪い事件」。なぜ、校内にある一本の木が御神木として崇め奉られるようになったのか。御神木のご利益と呪いの由来を究明する。

第2話の一番の見せ所は、謎の解明そのものよりも、事件の背景となった人物が述懐する回想であり、これが心にしんみり響いてきて、 青春のほろ苦さを噛みしめる後味爽やかな感傷エピソードに仕上がっているところにある。謎を解明する過程をきちんと描きつつ、登場人物の心の裏側も浮き彫りにできる作者の力量が現れるエピソードです。『夢喰い探偵』を読んで初めに感心したのは第2話のこの感傷的シーンだったので、むしろ作者の真髄はこちらかもしれません。

肝心のミステリー部分はどうかと言うと、学校の伝説や卒業生の真実という過去の出来事を明らかにするという事件の性質上、どうしても煮え切らない部分が残る印象があります。とはいえ、決して辻褄合わせにやっきになっていたり、論理に瑕疵があったりするわけではないので、これも十分成立しています。それ以上に、謎解きの見せ方にパズルをくみ上げるような工夫が凝らされていて、この点が秀逸でした。

ところで、第5話に登場するオカルト女子がすでに第2話で登場していることに気付きました。後から読み返しても面白い作品ですよ。 

第3話「最大の禁忌」

第3の事件は「最大の禁忌事件」。国谷の実家である駅前書店『くにや書房』の店内でミステリー小説にらくがきが見つかり、登場人物一覧で犯人をネタバレしてしまっていたため一行は激怒。ところが、これは暗号なのかもしれないと指摘されると関心は一転、書店の常連客を交えての暗号解読が始まる。

第3話は作者の趣味が多分に反映されているように思われます。作者である義元ゆういち氏はTwitterにてラーメン好きを公言していますが、作中でもラーメンのありようについて登場人物がコメントする一幕があります。さらには、ミステリー漫画を描いているので当然かもしれませんが、ミステリー好きであるからこそ描ける空気感というものが表現されています。第3話に登場するキャラはミステリマニアの国谷少年も含めて、書店に赴く常連客の個性豊かなこと。商店街の小さな書店という独特の雰囲気が色濃く伝わってきて、本好きであれば頷いてしまうこと請け合いのエピソードです。しかも、そのらくがきされた本というのが「まなこ堂シリーズ」の最新刊である『毒蝮殺人事件』であるという。とある有名なあのシリーズを連想してしまうシリーズ名だし、タイトルも『毒~殺人事件』とスタイルを統一できそうで、勝手にタイトルを考えたりしてしまい楽しい。なお、コマを拡大して頑張ってみたところ、『毒蝮殺人事件』の著者が大下新平という人であることがわかりました。ぜひ続編を書いていただきたいですね。

『夢喰い探偵』は本格ミステリーである

ミステリーという言葉は非常に広く解釈され、何をミステリーと言っても間違いとは言い切れないような事例も多々見受けられます。その中でも、1920年代~30年代の英米ミステリーや、その時代の作風を受け継ぐ形で1980年代以降に台頭してきた日本のミステリーを「本格ミステリー」と呼ぶ向きがあることはすでに知られています。では本格ミステリーとはなんぞやというと、残念ながら明確な定義はありません*1。しかし、大多数のミステリー好きであれば、謎解きの論理性と読者とのフェアな知恵比べに徹する作品群を「本格ミステリー」と呼ぶ、という主張に異を唱えることはないと信じます。『夢喰い探偵』は、まさしくそのような作品なのです。

本格ミステリーの系譜では、解決編が始まる前に「読者への挑戦状」が差し挟まれ、「ここまでに推理するためのすべての情報は提示されています。あなた(読者)は謎が解けますか?」と挑戦をふっかける作品が数多くあります。これは、作者がフェアな勝負を仕掛けてきていることを保証していると同時に、ここから解決編ですので心してページをめくってください、という注意書きでもあるわけです。『夢喰い探偵』においても、問題編と解決編は明確にわけられています。そしてまた、この事件を解くために解明すべき謎が何かについて明確に言及しています。作中で提示される謎に答えることができれば、探偵が明らかにした真相のすべてを見抜くことができなかったとしても、それは十分問題をクリアしたと言えるのではないでしょうか。

第1話では、「盆栽はなぜ破壊されたのか」「どうやって盆栽を破壊したのか」「それを実行できたのはだれか」の3つが提示されます。読者は、これら3つの問題すべてに適切に回答することが求められます。そしてそれらのヒントは、問題編ですべて提示されているのです。

作者は『夢喰い探偵』を本格ミステリーとして描こうとしています。第1話掲載前の作者のTwitterでは、「本格(?)青春ミステリー」となっています。クエスチョンマークがあるのがいただけませんが、「本格」が「青春」ではなく「ミステリー」に係っていることを信じます。

また、第1巻のあとがきでは、 頭空っぽでも読めるように描いたといいつつ、推理するための情報も入れてあるということを言っています。雰囲気ミステリーなどではなく、きちんとした推理漫画ですよ、と保証してくれています。これは頼もしいですね。

第2巻は5月発売

以上、『夢喰い探偵』第1巻の内容を説明してきました。この漫画の最大の特徴は、本格ミステリーである、という一点につきます。漫画でいいミステリーに出会うことはめったにありませんが、これは間違いなくアタリです。ミステリー好きの方には是非一度手に取っていただきたい作品です。

なお、第2巻は2016年5月発売です。これまでのペースから考えると、第4話から第6話までの3話収録となるでしょう。特に第6話が気合入っていてすごいのですが、そちらの紹介はまた別稿にて。

*1:講談社新本格ミステリ30周年特設サイトに「本格ミステリは、魅力的な謎を提示し論理で解決されることに主眼をおいたミステリをいう。」とある。30th anniversary 新本格ミステリ30周年